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先代猫の供養祭

猫との暮らし
この記事を書いた人
猫バカ・馬バカ
saku

現在、2匹の兄弟猫(ミックス)と暮らし猫ファーストな生活を送る猫飼いです。
猫飼い歴は20年以上。
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また、乗馬がきっかけで馬が好きになり馬沼にハマっています。
馬や乗馬、競馬に関する情報も発信中です。
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えだまめをお迎えする前、我が家には1匹の猫がいました。

彼は2015年、虹の橋を渡りました。

先日、彼の供養祭に参加してきました。

今回は、先代猫について書いてみます。

とっても大人しくて優しくて可愛い茶トラ猫「テト」のお話です。

少し長くなると思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

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先代猫 テト

えだまめをお迎えする前、我が家にいた茶トラ猫「テト」
彼が初めての うちの子でした。

テトは元ノラ猫で、うちの母の友人が子猫の時に保護し暫くその人に飼われていたのですが
その人の家庭の事情で飼えなくなり、うちの子になりました。

テトの正確な年齢は分かりませんが、うちに来た時点である程度 体が大きかったので
生後半年から1年くらいだったんじゃないかと思います。

それから約22年。
テトは一緒にいてくれました。

性格は超おっとり

今思えば…テトは、驚くほど大人しい猫でした。

当時、我が家はアパートの5階に住んでいました。
普通なら、脱走の心配があるので猫がお留守番中に
窓やベランダに続くドアを閉めて出かけるお家が多いと思います。
夏場であれば、窓もドアも閉めてクーラーをつけて出かけますよね。

しかし、当時の我が家はなーんにも考えずテト1人でお留守番する時も
夏場は窓を開けっぱなし、ベランダのドアも開けっ放しで出かけていたのです。
今では考えられない行動をとっていたなと自分で自分の神経を疑います。

見方を変えれば「テトは脱走しない」ということ。
言い訳に聞こえるかもしれませんが…(^^;)

しかし、本当に彼は1度も脱走をしたことがありません。
そんな素振りも見せたことがない子でした。

アパートの5階なので、直接1階までぴょーんと飛ぶことはできませんが
それでも下の階の屋根伝いにどんどん降りて行こうと思えばできること。

実際、別の棟で飼われていた猫は屋根伝いに下に降りていたし
上に登っているを何度も見ていました。

それを見ていて「テトはやらないな~」と思っていた暢気すぎる飼い主…。

ベランダに続くドアが開いていれば、日向ぼっこをするためにベランダには出ます。

そこでお隣さんのベランダに行こうと思えば行けるんです。
お隣さんとの境の壁の下には、猫が通れるくらいの隙間が空いていたので。

でもテトは行かない。
境目の近くまでは行くけど、ジーッと見て帰ってくるだけ。

好奇心はあるんだけど、危険は冒さない。
自分のテリトリーの中からは出ないタイプ
本当に大人しいおっとりした猫でした。

何をしても怒らない 動じない

テトは基本的に何をしても怒らないし、動じない。
動かざること山のごとし」みたいな子でした。

テト的にはボーっとしていただけかもしれませんが
人間の目には「どっしり構えている子」に見えていました。

あまりにも怒らないので飼い主に色々やられていたテト。

ししまいになったこともあります。

三毛猫になったこともあります。

チョッパーを背負ったこともあります。

祖母お手製のセーターを着て
サンタクロースみたいになったこともあります。

誠を背負って新選組隊士にもなりました。

冬はちゃんちゃんこ。

遊びすぎですね(笑)
これはテトだからできたこと。

えだまめは体に何かがまとわりつくのがあまり好きではないので
服は着てくれません。
首元に何かがまとわりつくのは大嫌いなので、首輪もできません。

でも、テトは服も首輪も何てことないといった雰囲気で全く抵抗なし。
受け入れるとか受け入れないという次元の問題ではなく
そもそも気にしませんが?だって害ないし。みたいな感じの子でした(笑)

甘ったれで箱好き

テトは、基本 甘ったれ。
いつも人間と一緒に寝ていました。

そして、抱っこ要求もしていたし、いつも人のそばにいました。

姿が見えないということが少なかったように思います。
昼寝するのも、人の近くが多かったように思います。

それでもやっぱり猫なので、狭いところが好きで

箱も好き。
空き箱があると、よく入って満足気にしていたものです。

えだとそっくり(笑)

突然の別れ

1度だけ入院したことがありますが、すぐに退院できて
それ以外に特別に大きな病気やケガをすることもなく過ごしていたテト。

歳をとってきて、寝る時間が増えました。
シニアの域に入ると寝る時間が増えるのは自然なこと。

歳をとってからも、ご飯もよく食べるしトイレもしっかりするし、よく寝るし、
帰ったら出迎えてくれる。

毎日、元気に過ごしていたある日の朝。

いつも通り出勤していると、母から携帯に着信が。
いつもは音を消していてバイブも弱いので、着信に気づかないことが多いのですが
その日はしっかりをバイブを感じ、電話に出てみると

「テトが動かなくなった!」

と一言。

すぐに会社に電話を入れてUターン。
帰ったときには、もう動かなくなったテトがいました。

急いで帰っている時、頭を支配していたのは
「ついにこの日が来てしまった」ということ。

正直…正直。
この頃のテトを見ていて覚悟はしていたのです。
言葉にはしませんでしたが「近いだろうな」と思っていました。
今思えば、この覚悟があったから比較的 冷静に対応できたのかもしれないと思います。

取り乱していたのは母の方で、私の頭の中は自分で思っていたより冷静でした。
帰った時、テトの体はとても温かかったので心マをしながら
かかりつけ医に電話をかけていました。

その時間はまだ営業時間外でしたが、病院のスタッフがもう病院にいるのは知っていました。
いつもこのくらいの時間に病院スタッフが掃除をしたり、
入院中の犬を散歩させている姿をいつも見ていたので。
人はいる時間。

でも、救急対応をしている病院ではないからか、出てくれない。
何度も何度もかけたけど、結局 出てくれませんでした。

もう何度目か分からないくらい電話をかけ続けて、諦めがつきました。

いつも通りの朝。
いつも通りのテトの様子。

それを確認して家を出たけど、いつも通りではありませんでした。

葬儀屋さんへ…

最後の抱っこをして、テトが使っていたタオルをひいて、
テトが大好きだったご飯やおやつと一緒に、大好きだった箱に寝かしました。

そのような行動をとりながら頭の中で考えていたのは「葬儀はどうしよう?」ということ。
覚悟していたとはいえ、葬儀に関しては全く調べていませんでした。

地元の火葬場に連れて行けば供養してもらえるみたいでしたが、
そこは共同供養になると聞いていて、それは何か嫌だな~と思っていたので、
急遽、ペットの葬儀屋を調べて何となく目についたペット葬儀屋に電話をしました。

無事コンタクトが取れて葬儀屋さんへ出発。
途中でお花を買って、一緒に入れました。

この葬儀屋さん、事前にじっくり調べることもできていませんでしたが
本当に良い葬儀屋さんで、テトに数珠を持たせてくれてから火葬してくれて
骨壺で2年間保管して、毎年2回ペット供養祭を開催しているところでした。
塔婆も立ててくれます。
ちなみにお骨の保管延長もできます。

後から調べてみると、こういうペット葬儀屋さんはたくさんあるみたいですが
当時の私は知らなかったので、この対応を「神!」と思ったものです。

動物とはいえ、飼い主にとっては大切な家族ですから、
きちんと供養してもらえると とても嬉しいものです。

それから毎年 春と秋の年2回。
ペット供養祭に参列しています。

2021年 秋のペット供養祭

今年も秋のペット供養祭に参列してきました。

今までは予約なしで供養祭当日に会場に行くという方法でしたが
今はコロナ渦なので、事前に電話予約を入れて決められた時間内での参列です。
お坊さんによる供養は別の日にしてくれていて、その様子を映像で流してくれています。

テトは2年間の保管期間を経て、今は共同墓地に入っています。
お骨延長をして長くこちらに繋ぎとめておくのも何か違う気がして
塔婆は延長しましたが、お骨は自然に返すことにしたのです。

なので、私の手元にもうテトは本当の本当にいませんが、
気持ちはいつも隣に。

まとめ

テトは20年以上も一緒にいれてくれたので、
失った時の喪失感は半端なかったです。

そして、テトはいつも出迎えをしてくれていたので、
帰ったときに出迎えてくれていた存在が ある日突然いなくなると、
玄関を開けた瞬間に強烈な違和感がありました。
鳴き声が聞こえないどころか、気配すら感じないので…。

ペットを飼っているとどうしてもやってくる別れ。
それは、とてもとても辛く悲しく寂しいものです。

でも、一緒にいてくれた日々は失われることはないし、
可愛い姿をたくさん見せてくれて、たくさん癒しをくれた
テトには感謝しかありません。

ちなみに、テトが何で突然亡くなったのかは分かりません。
ただ一つ、火葬してもらった時に葬儀屋さんに教えてもらったのが
「腎臓だったのかもしれないね」ということでした。

火葬した後に、悪かった部分は黒く残ることがあるのだそう。
テトの場合、腎臓と思われるあたりが黒く残っていたそうです。

テトが亡くなってから毎年参列しているペット供養祭。
お世話になったときは、ご夫婦2人で営業されていたようですが、
今ではスタッフさんが増えて、参列者も年々増えているようです。

もう何年の付き合いになるだろう…?
そこのご夫婦とは顔見知りになり、スタッフさんにも毎年当たり前のように
「テトちゃんですね~」と受付で言われるようになりました(笑)

この縁もテトが繋いでくれたものなので、大切にしていきたいと思います。

テトが亡くなってから約1年後、着替えをして「えだまめ」という2匹になって
テトは我が家に帰ってきたな~と供養祭のたびに思います。

着替えをして帰ってきたと思う理由は、また別の記事に…

ここまで読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。
写真もいつも以上に多かったので、重たかったらごめんなさい(^^;)

ちなみに最後の写真。
本当に本当の最後の写真になったものです。
魚眼レンズカメラというやつで撮ったもの。

もっとまともなのを撮ってあげれば良かった(笑)

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