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馬を知る~馬の品種【在来種】~

馬を知る
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猫バカ・馬バカ
saku

現在、2匹の兄弟猫(ミックス)と暮らし猫ファーストな生活を送る猫飼いです。
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馬にはたくさんの品種がいます。

前回は馬の品種、「軽種」「中間種」「重種」「在来種」「ポニー種」の中から
「重種」についてご紹介しました。

今回は「在来種」についてです。

馬を知る第四弾。
馬の品種【在来種】についてご紹介します。


在来種って?と思う方はこちらの記事をご覧ください。
馬の分類についてご紹介しています。

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北海道和種(道産子)

出典:Wikimedia Commons

体高:約130~132cm

北海道和種の原産地は、北海道です。
道産子の俗称でも親しまれていることから、日本で最も有名な在来種だといえるでしょう。

鎌倉時代、本州から和人が北海道に渡り、南部馬を持ち込み使役に利用したのが
北海道和種のはじまりとされています。

江戸時代に入ると北海道の漁場の開発が進み、漁獲物の運搬などのために
盛んに馬が持ち込まれるようになりました。
ただし、漁は主に夏季に行われ、冬には使役に使った馬はそのまま残し
冬を越すことのできた馬を再び捕獲して漁に使うということを繰り返してきました。

幕末には北海道内の伝馬制度が設けられ、北海道各地に幕府直営の牧が設けられて
馬生産も始まりました。

こうした環境の中で、丈夫な体、野原を走り回る強靭な体力を兼ね備え
200kg近くの荷物を運ぶことができる力を有した馬になったと考えられています。

毛色は、鹿毛、河原毛、月毛、佐目毛など様々です。

昔は、丈夫な体を生かし旅人を乗せたり、物資の運搬などで多く活躍していましが
機械化が進むにつれてその役割を終えました。


現在は、温厚な性格から常用馬やトレッキング、ホースセラピー
流鏑馬など多くの場面で活躍しています。

また北海道和種は、日本在来馬の中で最も飼育頭数が多く、日本在来馬の約75%を占めています。

木曽馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約132~136cm

木曽馬の原産地は、長野県です。
長野県の木曽地域や岐阜県の飛騨地方を中心に飼育されており
長野県の天然記念物に指定されています。

木曽馬の起源ははっきりとしていませんが、元々は蒙古の大陸系の馬で
2世紀から3世紀にかけて朝鮮半島を南下し渡来したといわれています。

長野県では古くから馬産が行われてきました。
平安時代末期には、木曽義仲が木曽馬を用いて合戦に参加したとされています。

江戸時代中期以降、この地域で馬産は隆盛となり、諸国に大量に売られるようになりました。
また、木曽の馬産は子馬の販売という面からばかりではなく
厩堆肥の生産という点でも経済的価値があったとされています。

また、木曽馬は明治になって始まった馬政計画の対象でした。
第二次世界大戦中の昭和18年、軍部の圧力に抗しきれなくなり
木曽馬の断種が実施され絶滅の危機に瀕しました。

戦後わずかに残っていた純血に近い木曽馬の雌と、神馬として飼われていて
断種を免れていた雄により、熱心な関係者の努力によって木曽馬は復活しました。

現在では、飼育頭数も徐々に増え乗用馬として活躍するほか
大人しく人懐っこい性格から子供が乗ることにも適しており人気のある品種です。

野間馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約110~120cm

野間馬の原産地は愛媛県で、今治市の天然記念物に指定されています。

野間馬は、昭和63年に日本馬事協会によって日本在来種として認定を受けました。
8種類の日本在来馬のうちで最も新しく認定された馬であり
最も小型の馬という特長をもっています。

野間馬の起源は、寛永年間に松山藩主が領内の野間郷一帯の農民に
馬の増殖を委託したことが始まりとされています。
小型の野間馬は、急傾斜地や細道での運搬能力に優れ、農作業で活躍してきました。

明治以降の馬政計画では、小型の馬の生産は禁止されましたが
農作業とくに傾斜地におけるミカンの収穫では不可欠な存在であったため
ひそかに繁殖が続けられてきました。


その後、第二次世界大戦後の農作業の機械化で、野間馬の数は激減し
一時は絶滅が危ぶまれるほどになりましたが、動物園や個人、農協関係者などの努力により
現在では80頭を超えるまでに復活させることができました。

野間馬は、大人しい性格で賢いため、ホースセラピーや小学校のクラブ活動でも活躍しています。
また、今治市に専用の施設が建設され、ふれあい活動なども行われています。

御崎馬(岬馬)

出典:Wikimedia Commons

体高:約120~132cm

御崎馬の原産地は、宮城県です。
宮城県串間市の都井岬に生息し、国の天然記念物に指定されています。

御崎馬は、縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入された馬が
起源といわれています。

体型はがっちりとしていて頭部は大きく、農耕馬として飼育された
他の日本在来馬と比較すると脚が細いのが特徴です。

御崎馬は牧場が都井岬に開設されて以来、300年以上もの間に人の手を
ほとんど加えない管理方法で、一年を通して放牧されている周年放牧という
飼育方法をとられてきたため、都井岬の自然環境に適した資質が形成されました。

その体質は、強靭で斜面が多い都井岬の環境に適した発達した後躯を持ち
粗食に耐える特徴をもっています。

都井岬では、自然の中で生きる馬の姿をみることができます。
御崎馬は自然飼育のため、乗馬や農耕馬としては使用されておらず
触れることや近づくことも禁止されています。

現在は約100頭ほどの御崎馬が自然繁殖集団として保護され、宮崎県の観光資源となっています。

対州馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約110~130cm

対州馬の原産地は、長崎県です。
長崎県対馬市を中心に飼育されてきました。

対州馬は古くから対馬で飼育されてきた馬で、鎌倉時代の元寇(モンゴルとの戦)の時に
武将を乗せて活躍したと伝えられています。

他の日本在来馬と同じく、気性は大人しく粗食にも耐え剛健でまた蹄が硬く
装蹄を行わなくても思い荷物を運ぶことができます。
そのことから、昔は農耕や木材、日用品の運搬用の馬として活躍しました。

対馬市は坂道が多い地域ですが、対州馬は坂道を上るのに適した歩き方を自然に覚えるため
坂道を苦にしません。
また、対州馬に乗るときはハミを使わず、無口頭絡の左の口元に
手綱一本を結びつけて馬を操作していました。
こういうことができるのは、対州馬の温厚な性格があるからだといわれています。

対州馬の頭数は30頭以下と少なく、絶滅が危ぶまれています。
現在は、対州馬保存会が結成され保護に力が入れられています。

トカラ馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約110~120cm

トカラ馬の原産地は、鹿児島県です。
鹿児島県のトカラ列島で飼育されてきた品種で、鹿児島県の天然記念物に指定されています。

屋久島と奄美大島の間にある12の島々がトカラ列島で
7つの島は有人島ですが残りの5つは無人島です。

トカラ馬は1952年に鹿児島大学の教授によって、トカラ列島最南端の宝島で発見されました。
日本固有の純粋種として紹介されるまで、全く世間に知られていない馬で
発見されたのは今から約70年ほど前と、比較的最近 発見された日本在来馬です。
これはトカラ列島が孤立された立地条件に位置しているのも要因かもしれません。

トカラ馬は、奄美群島の北東にある喜界島からサトウキビ栽培のための労力として
宝島にやってきたといわれています。
暑さに強く、農耕や運搬などに使われてきましたが、現在はそのような用途では使われておらず
あまり人の手をかけずに年間を通して放牧されています。

他の日本在来馬が乗用馬として使われているのに対し、トカラ馬は乗用馬としても使われず
観光などへの利用についても方針が定まっていないため
トカラ馬の活用は今後の保護の上で大きな課題となっています。

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宮古馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約120cm

宮古馬の原産地は沖縄県です。
沖縄県宮古島で飼育されている日本在来馬で、沖縄県の天然記念物に指定されています。

沖縄県では昔から小型の馬が飼育されており、この馬は中国から伝わったという説と
朝鮮半島の馬が九州を経て伝わったという説があります。

琉球王国時代に行われていた、沖縄の伝統的な競技であった琉球競馬に使われていたり
琉球王朝の公用馬としても用いられてきた歴史があります。

宮古馬は、大人しく人によく懐き、体が丈夫で蹄も硬いことからサンゴ石の道路や
表土の薄いサトウキビ畑での農耕に適しています。
また、粗食や重労働にも耐えられることから、明治時代に宮古島で
サトウキビの栽培が始められると、宮古馬がその農耕で活躍してきました。

現在ではその頭数を減らし、およそ40頭ほどしかいないといわれています。

与那国馬

出典:Wikimedia Commons

体高:約120cm

与那国馬の原産地は、沖縄県です。
沖縄県の与那国島で飼育されている日本在来馬で、与那国町の天然記念物に指定されています。

与那国馬がどこからやってきたのかははっきりとしていません。
日本最西端の離島である与那国島で生息しているために
品種改良や他の品種との交配が行われることなく、与那国馬独自の系統が保たれてきました。

性格は大人しく、また人懐こいので宮古馬と同様に
沖縄の伝統的な競技に使われていた歴史をもっています。
昔は競技用としてだけではなく、農耕馬としても使われていましたが
現在では乗馬や観光用として活躍しています。

与那国島では、与那国馬に乗ることができる施設もあります。
外乗も行っており、森の中や浜辺を歩いたり、海の中に入ることもできるそうです。

最後に

いかがでしたか?
今回は、馬の分類「在来種」の品種についてご紹介しました。

在来種は、外来種とほとんど交配することなく、古くから残ってきた日本固有の貴重な馬です。
現在では、保護のための施策が行われていますが
飼育頭数が少なく絶滅が危惧されている馬もいます。

古くから日本人と共に助け合いながら生きてきた在来種の馬たち。
自然な姿のまま生活している馬もいます。
この生態系を壊すことなく保護していってほしいと思いますし
種の保存のために私たちにできることは何なのか?を考え
貢献できることはしていきたいですね。

次回は「ポニー種」の品種についてご紹介したいと思います。

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